トレードマークのソフト帽にコート。袴田巌さん(82)が東京・霞が関の東京高裁前に姿をみせた。 12日、袴田さんの弁護団が早く再審を開始するよう求める申入書を高裁に提出した。
袴田巌が犯人でないとしたら、4人の命を奪ったのは一体誰なんだろう。 静岡市清水区の元教師の男性(69)はこの48年、そんな思いを抱いてきた。 事件当時は静岡大教育学部の4年生。
2018年に朝日新聞に掲載された、袴田巌さんに関する連載を再配信しました。肩書や年齢などは当時のままです。 【2018年3月31日朝刊掲載】 巨大なコンクリートの要塞(ようさい)のような ...
「犯人はお前以外には考えられんではないか、とか、大声で責め続けることがありましたか」。1968年に袴田巌さん(81)への死刑判決を出した一審・静岡地裁での審理。検察官の問いかけに ...
法廷の扉の前に設けられた太い柵。外に何人もの記者が待ち構えていた。 静岡地裁の再審開始決定に対する即時抗告審が続く東京高裁。昨年9月下旬、決定の決め手となったDNA型鑑定をした ...
当時の関係者の中には、袴田巌が犯人と固く信じる人も少なくない。みそタンクから犯行時の着衣とされる「5点の衣類」を見つけた元従業員(82)は「ほかにやる人はいない」。吐き捨てる ...
熊本は当時の経緯を、再審を求める上申書につづった。約2年間にわたる静岡地裁の公判を通じ、「袴田は無罪」と感じていた。起案用紙に360枚の無罪判決文を書いたが、3人の裁判官の合議の結果は2対1で有罪。「取り決めだから書いてくれ」。石見勝四裁判長から求め ...
2014年に朝日新聞に掲載された、 袴田巌 さんに関する連載を再配信しました。肩書や年齢などは当時のままです。 (敬称略) 弁護士の角替清美(40)は2006年、 静岡市 で開かれた袴田巌の支援者の勉強会に参加した時、そう感じた。当時は、 司法試験 ...
裁判員裁判 が2009年に始まるのを前に、弁護側に証拠開示を求める権利が05年の 刑事訴訟法 改正で認められた。袴田の再審請求に関わる新屋達之・大宮 法科大学院 大教授は「再審事件に直接適用されないが、裁判所が証拠開示を勧告しやすくなった」と話す。
「昨日、隣の部屋の人が処刑された。お元気でと言ってた。みんながっかりしている」。1980年の死刑確定からしばらくして面会に訪れた姉ひで子に、袴田巌はまくし立てた。それ以降、処刑に関する話題は一切しなくなった。
杉山も当時、冤罪(えんざい)を訴えて裁判で争っていた。そんな事情を知っていたのか、袴田は時折、自分の裁判の進み具合を杉山に話しかけてきた。私語は禁じられているため、青空を見上げ、独り言のようにつぶやいていた。
2014年に朝日新聞に掲載された、 袴田巌 さんに関する連載を再配信しました。肩書や年齢などは当時のままです。 (敬称略) 「袴田さーん、袴田さーん」。後輩記者と共に「こがね味噌(みそ)」の従業員寮を訪れた富永久雄(73)=県代表 監査委員 ...